鳴戸部屋(親方は元大関 琴欧州)に初の関取誕生!鳴門部屋情報とは?

スポニチアネックスより

鳴戸親方(元大関琴欧州)が弟子2人を連れて、
佐渡ケ嶽部屋から独立したのは2017年4月のことでした。
それが今では12人に成長し、新しい部屋とも重なり活気に満ちています。
親方はまだ38才と若くブルガリアのスポーツ大学経験や日本で学んだことを生かして指導にあたっていきたいと抱負を語っています。

鳴戸部屋のおかみさんは?

琴欧州は2010年の2月に結婚しています。
お相手は安藤麻子さんという元航空会社勤務の女性です。
親方が2mを超す長身なので、身長がずいぶん違うように見えますが、
美人でかわいらしいおかみさんですね。

出典:https://twitter.com/

琴欧州が佐渡ヶ嶽部屋から独立して自分の部屋を持った当初はとても苦労をしたようです。

まず仮住まいの部屋は狭く親方夫婦はそこに住めなかったようです。
そのために角界を揺るがす、不祥事が起こってしまいました。

鳴戸部屋の不祥事とは?

後でわかったことですが、当時三段目の力士が若い弟子にいじめを繰り返していたのです。
携帯で頭を殴ったり、柔道の締め技をかけたりと何回もいじめを繰り返していたようなのです。最後には若い衆にも命じて締め技をかけさせたというから驚きです。結末は被害者がマネージャーに相談して親方に伝わったことからやってきました。親方が相撲協会に事の始終を報告し処分をあおいだのです。

協会は加害者の力士に引退を勧告、親方には減棒というものでした。
被害者力士は部屋に残って修行を続けたいとのことで、親方も安心されたことでしょう。

部屋が狭く親方が部屋に不在のため監督が行き届かなかったとの理由も指摘されました。

そのため新しい部屋と稽古場は願ったりかなったりでした。
なんでも後援会の方が建ててくださったものを使わせていただいている、とのことです。

今では稽古場にビデオカメラも、設置されていて稽古に役立っているとのこと。

お客さんの視線を意識しろということらしいです。

鳴戸部屋初の関取誕生!

学生横綱だったプレブスレン・デルゲルバヤル君が2021年、幕下15枚目格付出しの権利をもって鳴戸部屋からデビューしたのはついこの間です。

あっという間に十両昇進を果たしたのです。一人でも関取がいるのと、いないのでは、すべての面で違いが出ます。稽古は強い相手とやらなければ強くはなれないといいます。お手本になれる力士が誕生したのですから親方もほっとしたことでしょう。

鳴戸部屋朝稽古

鳴戸部屋の力士を紹介

*東十両十三枚目: 欧勝馬

幕下:欧勝竜、欧州山、三島

三段目:村山、向田、本間
丸勝、川村、欧勝海、櫻井

序二段:安斎、金沢 (2022年 5月場所デビュー)
欧翔山

序の口:欧山田 (2022年 5月場所デビュー)
北欧山(元萩原)、山根
*序の口行司:式守 昴朋
*序の口呼び出し:健太
*五等床山:床欧

鳴戸部屋住所:

〒131-0003 東京都墨田区向島1丁目22−16

東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー」駅より徒歩4分

都営浅草線「本所吾妻橋」駅より徒歩5分

鳴門部屋の遍歴

今の鳴門親方は第15代に当たります。
第14代鳴戸は隆の鶴伸一(前頭八枚目)
第13代鳴戸は隆の里俊英(元横綱)
隆ノ里(元横綱)は二子山部屋の所属でしたが引退後に独立し鳴門部屋を開業。
二子山親方(初代若乃花)の厳しい指導を受け継いでおり、部屋の親方になった後も指導方針は同じように厳しかったようです。
その面、弟子のスカウトなどでも甘い言葉で誘ったりすることはしなかったと。自身にもきびしいひとだったのでしょう。横綱稀勢の里を育てた師匠でもあります。
その時、週刊誌に鳴戸親方の弟子への暴行が載り相撲協会も調査に乗り出しました。

一貫して暴力ではなく、「かわいがり」だ、という説明に終始していました。稀勢の里なども弟子に厳しく当たっていたようです。その時、持病の悪化とストレスからか13代鳴戸は急性呼吸不全で死亡してしまいました。その後隆の鶴が部屋を次第14代を名乗りましたが、相撲協会の年寄名跡預かり方針で名跡証書の提出を求められていたのですが、名跡は死んだ13代の夫人が持っており高額での譲渡を14代に要求したため14台は諦め、年寄田子ノ浦を取得して田子ノ浦部屋を起こし稀勢の里らの所属力士は、田子ノ浦部屋の所属になりました。
相撲部屋は

増位山の旧三保ヶ関部屋(墨田区)へと移転。

ところが14代鳴戸は放蕩三昧に明け暮れ稽古は弟子に任せていました。

故・鳴戸親方といえば、現役時代から超ガチンコ親方として知られていた。その遺伝子を引き継いだ稀勢の里は、角界屈指の練習の虫として、努力の末に横綱の地位にまで上り詰めたのだ。

「田子ノ浦親方もその洗礼を浴びていたものの、稀勢の里が敬愛する西岩親方と比べれば、練習量も質も比べものにならなかった。『ケガは土俵で治す』が鳴戸親方の方針だったので、西岩親方なんて、靱帯を損傷してもテーピングをして土俵に上がったことも。同じ兄弟子でも、田子ノ浦親方の現役時代のちゃらんぽらんな一面を知る稀勢の里がバカにするのもしかたないことだった」(後援会関係者)

琴欧州が所有するまで、名跡鳴戸は協会預かりとなっていたようです。

襲名手続

従来は力士の引退に際して理事会が開かれ直接年寄襲名の承認を得ていたが、2014年1月30日をもって日本相撲協会が公益法人に正式移行した以降は新設された年寄資格審査委員会で過半数の承認を経て、理事会で最終承認を得るという形式をとるようになった。この手続き形式で年寄襲名を果たした初の例が琴欧洲(大関3年)である。

 


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