紫雷の経歴は? 7年でやっと十両も違法賭博の付き添いでおじゃん

日刊スポーツより

力士情報

紫雷 匠(しでん たくみ)
本名:芝 匠

四股名履歴  芝→紫雷
番付:幕下七枚目
生年月日:平成3年12月24日
出身地:東京都町田市
身長・体重:176,5㎝ 、153,7 キロ
得意技:左四つ 寄り

 

 

紫電の経歴は?

紫雷は小学校4年の時に町田市のわんぱく相撲大会で準優勝しましたことから、地元の相撲道場(立川錬成館)に通い始めました。

中学校3年の時には全国中学校相撲選手権大会で個人3位、
全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人ベスト8になるなどして、
本人も自信をつけたところで埼玉栄高校の相撲部監督から勧誘を受け入学しました。

普通科総合進学コースを選んだのも、まだ相撲の世界でやって行けるかどうか不安があったのだと思います。

3年次に全国高等学校総合体育大会相撲競技大会(高校総体)団体優勝、選抜相撲宇佐大会団体2位、個人3位などの実績があります。日本大学商学部に進学してからは活躍する機会がなく相撲に対する情熱が薄れてしまったのですが

国体の選手に選ばれたのがきっかけrで再び相撲界でやってみようと決意したようです。
周りには角界に入った先輩たちが大勢いましたから彼らの活躍を見てやる気になったのでしょう。大学卒業後に

高校と大学の2年先輩に英乃海がいたことから木瀬部屋
に入門しました。のちに英乃海には賭博容疑で足を引っ張られるわけですが
いい先輩だったようです。

初土俵は2014年の三月場所でした。

前相撲では2勝を挙げ1番出世でした。

その時は今の大関・正代にも勝ったことがあります。

同じ時期にデビューした力士には、正代や大翔丸がいますが、

性格がおとなしいのでしょうか、彼らに先を越されていました。

年齢からか、後がないと思ったのでしょう。

本人がやる気になったようで、ここのところ成績が安定してきています。

もともと才能があったわけですから、今の位置にいるような紫雷では
ありません。

7年かけてやっと十両になったのに!

紫雷は令和3年の11月場所まで本名の「芝」を四股名に相撲を取っていました。

入門から7年かかりました。

今までは幕下上位になると、いつも負け越すという悪いパターンの繰り返しでしたが、11月場所、やっと幕下二枚目で5勝2敗をあげることができ、番付編成会議で正式に新十両昇進が決定したのです。、四股名を「紫雷」に改名したばかりですが、新十両の土俵に上がることはできませんでした。

今思えば、「なんでこんな大事な時に、俺をさそったのですか・・?」
紫雷の心のうちはきっとこうだったでしょう。

違法賭博の付き添い

紫雷は2020年7月場所を場所前の稽古で眼窩底骨折をして全休しました。

手術を受けて翌9月場所で復帰、英乃海の付き人になり、

成績も安定しやっと新十両にというときでした。

2021年(令和三年)の12月、英乃海の付き人として
違法カジノ店に出入りしたことがわかり、木瀬親方から自粛し休場するよう言われたのです。

周囲では朝乃山が、コロナの自粛期間中に飲みに行っただけで何も悪いことはしていないのに、6場所も出場できなかったのに比べ違法賭博場に出入りした方が処分が軽いのはおかしい。
そんな意見も聞かれました。

付き人という身分では、嫌でも断れなかったことを考え、相撲協会は不問にしましたが親方はそんなわけにはいかない、と事態を重く見て紫雷に自粛を諭したのでしょう。
協会は英乃海にはもっと長い期間の出場停止をいい渡すべきでした。

結果、紫雷の番付は西の幕下十一枚目まで落ちてしまいました。

幕下は7番しか取り組みがなく、全勝優勝でもしなければ、勝ち越してもなかなか十両には戻れません。
簡単に落ちることはできても簡単には上がれないのです。

再び十両への挑戦!

5勝2敗
3勝4敗
5勝2敗の後、 令和4年の九月場所、幕下七枚目で6勝1敗の好成績。

11月場所では幕下筆頭くらいにまで番付は上がります。

再度十両への挑戦が開始されるのです。
朝乃山がいるので、優勝は無理としても、勝ち越せば確実に十両です。

何とか頑張ってほしいです。



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