春場所を振り返って!平幕・尊富士の優勝と番付のあり方を問う。
春場所の15日間があっという間に過ぎてしまいました。
その場所、その場所でいろいろな出来事があり、それはそれでファンを引き付けて離しません。
暗いニュースもあればうれしいことも、それらはみんな大相撲なのだということで理解しています。
それにしても新入幕の尊富士が優勝したことで相撲協会はある種の危機感を持ったはずです。
それは番付の意味、存在感が問われているということです。
新入幕の力士に大関が負けてしまったという現実は説明のしようがありません。
前頭の上位陣や小結、関脇くらいまでなら新入幕の力士に負けてもそういうこともあるかな・・で済むのですが、こと大関がとなるとそうも言っていられないのでは・・?
番付って何なの・・?
給料の多さの順位だと言われれば納得される人もいるのではと勘繰ってしまいます。
さらに5月場所の番付の予想ではメディア各紙が尊富士の位置は前頭の6,7枚目と予想しています。
それを見た私は「エッ」となったわけです。
当然小結に抜擢だと考えていましたから。
過去に前例がないといえばそうなのかもしれません・・。
ですが実際の力を評価したうえで妥当な番付の位置に据えるのが本当ではないかと思うのです。
大関だけでなく関脇を含む上位陣をことごとく破っての優勝・・
これはもう三役の実力ありと判断して小結へ昇進させることが、かなわないとなると
ファンが?を感じ続けていずれは離れていくのではと危惧してしまうのです。
確かに勝負事ですから勝ち負けは時の運と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、
私は何でこうなるのかと考えたとき、まだ琴の若は大関見習いであったという見解なのです。
したがって見習い大関は新入幕力士に負けたり負け越したりした場合は
関脇に降格とするのが妥当だと考えるのです。
大関への昇進基準が横綱不在の場所が続きちょっとぬるかったと言わざるを得ません。
このことは霧島にも言えることです。
5勝10敗なんて大関として恥ずかしくないの?
と言いたいです。
さらに付け加えて大関は負け越した場合、次の場所は勝ち越しではなく10勝以上として、そうでなければ陥落ということが妥当だと考えますがいかがなものでしょうか。
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