元幕内・石浦の間垣親方の引退相撲が6月1日に両国国技館で開催されることが発表されました。
今の心境をyahooニュースが紹介しています。
その中でも特に目を引いたのがこの質問への答えでした。
―力士たちに一番教えたいことは何ですか?
「自分が引退して、一番大事なものは何かと考えたのですが、やはり基礎です。うちの師匠(宮城野親方)が見本。白鵬関は基礎運動を約1時間、長いときは2時間ぐらいかけてやっていました。地味だけど一番強くなる方法なので、そこを部屋の子たちに教えてあげたいのですが、なかなか難しい。ほとんどアップせずに相撲を取り始めたりする子もいます。それでは強くはならないよ、と思うんです」
「人のことをうらやましがるようなことはしないでほしいです。人のまねをすることも大事なんですが、誰にでも良い部分は必ずあるので、そこを伸ばしてあげたい。 (Yahoo ニュースより)
このことは、アスリートだけにとどまらず、
あらゆることに共通して言えることだと思いました。
こう言える間垣親方(元幕内 石浦)の指導を受けられる弟子たちは強くならなければ・・。
では元幕内力士・石浦とはどんなひとだったのでしょう?
調べてみました。
石浦の力士情報
石浦 鹿介(いしうら しかのすけ)
※鹿介は戦国時代の武将「山中鹿之介」に因んで名付けたとのこと。
本名: 石浦 将勝 (いしうら まさかつ)
所属部屋: 宮城野部屋
生年月日:平成2年1月10日
出身地 :鳥取県鳥取市
身長 体重: 174センチ 110キロ
出身高校、大学 :鳥取城北高校、日本大学
改名歴 石浦 将勝 → 石浦 鹿介
初土俵 平成25年1月
最終場所 令和5年7月
最高位 前頭 五枚目
年寄名跡 間垣 喜翔
石浦の経歴
石浦は小学校2年生の頃からは因幡相撲道場で本格的に稽古を始めました。
同時気に野球や水泳にも興味を持ち野球では左のエースとして活躍していたほどでしたが。
相撲道場の監督に「お前は素質がある」と説得されてからは相撲一筋に、精進することになったのです。。
中学時代は2年時の全国中学相撲選手権大会で団体準優勝。
3年次には全国都道府県相撲大会で個人3位に入賞[。
高校時代、1年の時にインターハイ予選で1位、団体戦でレギュラーとして団体優勝。
2年では個人戦で全日本ジュニア体重別相撲選手権大会(第1回大会)の軽量級で2連覇を達成(2年生の時がこの大会の第1回大会)。
3年生の時には世界ジュニア選手権の軽量級で優勝。
大学時代は1年次に東日本学生個人体重別選手権の無差別級準優勝。
2年次に全日本大学選抜十和田大会3位入賞
などと数々の受賞歴がありますがいかんせん軽量なことから体重別が主で無差別ではかなわなかったようです。
大相撲入門
2012年12月に宮城野部屋に白鵬の内弟子として入門。
2013年に初土俵を踏んでから序の口、序二段と連続全勝優勝を果たす。
三段目も6勝1敗とひと場所で幕下に昇進しました。
3年目の2015年3月場所後に新十両となるも
怪我に悩まされ幕下との間を行ったり来たりしていました。
平成28年の9月場所で西十両六枚目で9勝6敗の成績を収めると
幕内下位に成績不審者が多く出たこともあり新入幕が内定。
翌11月場所から前頭十五枚目となると
その場所は快進撃で10勝5敗と好成績を上げ見事、敢闘賞を受賞したのでした。
その後は前頭と十両の間を行き来していたのですが
平成4年の一月場所で14勝1敗の好成績をあげ
翌三月場所、自己最高の西前頭五枚目まで番付を上げで迎えた三日目のことです。
対琴の若戦で土俵下に飛ばされた石浦は「頸椎症性神経根症」という首の怪我を負ってしまうのです。
その場所は11日目から再出場をしては見たものの、その後は長期療養を余儀なくされ7場所連続休場で番付は序二段まで降下することになりました。
「このままでは下半身不随になる恐れがある」と医者から手術を勧められた石浦は
引退を決意したのでした。
年寄「間垣」の襲名承認を受け宮城野部屋の親方となる。
石浦の家族
父親は鳥取城北高校相撲部・石浦外喜義(いしうら・ときよし)監督です。
母親も同校で養護教員として勤務されています。
2017年に結婚。
一時期、石浦は
同じ軽量で小身の弟弟子炎鵬が
自分が勝てない大きな力士に勝つのを見て
「炎鵬になりたい」と、炎鵬の取り口をまねした時期が2年ほどありました。
その結果足首を骨折したことに、
奥さんから「私はあなたの相撲が好きだけどね』と言われ
気が付いて自分の相撲に立ち返ったというエピソードがあります。
素敵な奥さんですね。
引退時現在2男1女の父
稽古中の喧嘩騒動がメディアに
2020年1月4日、宮城野部屋で三番稽古の最中に幕下の宝香鵬にダメ押しをされたと立腹した石浦が膝蹴りをしたことから殴り合いの喧嘩になり、白鵬が両者の間に入って仲裁した様子を撮影した写真がスポーツ各紙に掲載された。激しい稽古で感情が剥き出しになったなど考慮される点もあったが、師匠の宮城野は高島理事に報告しており、この時点では稽古中のことで不問に付す旨を伝えられた。
緊急理事会で、石浦は1ヵ月20%の減俸とけん責、宝香鵬はけん責、師匠の宮城野は3ヵ月20%の減俸処分が言い渡された。 (Wikipediaより)
石浦は1990年生まれでも早生まれなので1989年生まれの宝香鵬とは同学年。
そんなことも原因にあったのかもしれませんね。
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